読書コーナー

あせらないで、しっかり握り締めよ!

デービッド・ブラント・バーグ

私達は、急いで家に戻り、仕事や書き物をするつもりだったが、代わりに、騒がしい通りに面したきれいな石の塀に座り、そこから見える眺めをしばし楽しむことにした。その時、次のような考えが浮かんできた。

一杯のワイン、散歩、会話、ドライブ、景色、食事、抱擁、この世界のほとんど何もかもが、急いでいては楽しめない! 神はめったに急がれない! 子供が生まれるのも、花が咲くのも、木が繁るのも、日が沈むのも、たった一枚の葉が生えるのも、神はじっくり時間をかけられる。神はめったに急がれない。怒られる時以外は! 神が事を突然にされることもめったにない。裁きを下される時以外は!(箴言29:1参照)

おかしなことだが、少年の頃、丘に座っていると、よくこんな考えが浮かんできたものだった。そして、万物は何を意味しているのだろうか、と考えた。私にとっては、すべてのものが何かを物語っており、何らかのメッセージを伝えていた。(ローマ1:20参照)

海は嵐の時以外、いつも平和で静かで悠々としている。

スピードは殺す。急ぎは無駄を生む。忍耐には信仰がいる。急いでいると、いろいろな事を見逃したり、忘れたり、なくしたり、すぐに疲れたりする。ぱっと派手に暮らしても、後でその恥を負う。あせって結婚するなら、じわじわと後悔する。一分を惜しんで、一生を失うこともあれば、一文惜しみの百失いになることもある。

ゆっくり行けば、より早く目的地に着ける。少なくとも、必ずそこに到達できる。たとえ遅く着いても、全く到着できないよりはずっといい。安全は後悔に勝る。跳ぶ前に一度止まって見よ。跳ばなくてもすむかも知れない。一歩誤るも、一キロ誤るも、誤りに変わりはない。標的を正確に狙うには、時間がかかる。

陸軍では、射撃演習のとき、動く標的か、一瞬見えてすぐ消える標的を使用した。兵士の多くは、標的が消えることばかりに気をとられて、撃ち急いでは標的を外してしまった。しかし、私は確実に標的を撃てるという確信を持てるまで待ったので、「名射撃手」と呼ばれた。射撃競技では、命中率9割の成績でライフル銃の名手とされた! 速く撃とうとあせる兵士は、ライフルを大きく揺らしてしまう。急いで引き金を引くため、ライフル全体が揺らいで、結局、的をはずしていた。罪とは、的をはずすことだ。私は時間をかけてひじをしっかり安定させ、ライフルを固定し、的を正確に狙い、引き金をゆっくり握り締めた! あせらないで、しっかり握り締めよ。そうしないと、的をはずしてしまう!

「ローマは一日にして成らず!」 主は私に、家を建てるには時間がかかる、と言われた。以前私が、ある事を成そうとし、決断を下すために情報を得ようとあせっていた時、主はこのように言われた。「まず土台をしっかり築かなければならない。それから煉瓦の上に煉瓦を、石の上に石を、一つ一つ隙間なく組み合わせ、その上をモルタルで固めなければならない。この仕事は決して急いではならない。急ぐなら壁が崩れてしまうだろう。そして最上部に、屋根を安全に乗せなければならない。梁に梁を、たるきにたるきを、かわらにかわらを重ねて。次いで左官が来て、ペンキ屋が来て、最後に仕上げ工が来て、窓や戸を取りつけ、天上や床を張る。そしてついに、きちんとまとまった一戸の建物となる。外見も美しく、時間をかけて、頑丈に建てられた上等の建造物であり、長持ちする。」

だが、大急ぎで建てた、粗雑な家もある。いんちき請負業者は冗談半分にこう言う。「まあ、倒れる前に人間が逃げ出せる程の持ち具合の家さ。」 嵐の時に倒れ、中に住む人が下敷きになって死んでしまうのはこの種の家だ。私は、マイアミの大ハリケーンの時、何千もの家がこのようにつぶされたのを見た。そして何千もの人々が、このようないい加減な作りの建物の犠牲となった。こういった建物は、凶暴な嵐には一たまりもなかった。

あなたは嵐のさ中にあっても、心に平安を持っていることができる。どんな強風にも動じない、堅固で、入念に建てられた建物の中にいて安全だとわかっているなら。良い建物は微動だにせず、もちろん嵐に飛ばされたりはしない。嵐が終わるまでしっかりと建っている。

邪悪な者は、その舌をもって、またその足をもって、またその手をもって、罪に急ぐ!(箴言19:2b [欽定訳]参照)しかし私達は主を待つべきだ! 主を待ち望む者は新たなる力を得る。疲れてしまうことはない!(イザヤ40:31参照) 「あなたは、その思いをあなたに留めている者を全き平安をもって守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」(イザヤ26:3 [欽定訳]) 「信じている者は、安息にはいる。」(ヘブル4:3) 「主は、その愛する者に休みを与えられる!」(詩篇127:2 [欽定訳]より)

主にあって安らいでいなさい! 忍耐には信仰がいる! 「患難は忍耐を生み出す。」(ローマ5:3) なぜなら、患難にあうと、その成り行きについて神に信頼し、信仰を持たざるを得なくなるからだ!

「悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができない…。わが神は言われる、『よこしまな者には平安がない』と。」(イザヤ57:20、21) 彼らは間断なく揺れ動いており、一時も休むことができない。よこしまな者には平安がない!

しかし、「休みが、神の民のためにまだ残されている!」(ヘブル4:9)

あせらないで、しっかり握り締めよ! そうしないとあなたは的をはずす。そして神の的をはずすことは罪だ!

モーセは神の民を解放しようとした時、最初はあせった。そのため彼はエジプト人を殺してしまい、民を救うどころか、命からがら逃亡しなければならなかった。しかし40年に渡って、忍耐強く、謙虚に、荒野で羊を牧しながら、神の御声を聞いて過ごし、自分の衝動ではなく、神の御声に従うことを学んだ彼は、ついに、多くの時間と労力と忍耐を要するエジプト大脱出の仕事に取りかかる心の準備ができたのである。ゆっくり、しかし確実に!

その後モーセは、山上に40日40夜いて、神の御言葉を聞いたが、ほんの一瞬の怒りから、十戒が彫られた板を壊し、すべてを失ってしまった。そのため、また山上に戻り、もう一度40日間を過ごさねばならなかった。あせったために、2倍の日数がかかったのだ。

ウサギはゴールラインにも到達しなかったが、カメは勝った! 私の妻は、私達が会合や誰かと会いに行く途中、よくこう言って釘をさした。「ねえあなた、今日は『近道』をする時間の余裕はありませんよ。」 と言うのも、妻は、私が少しでも早く着けるようにと、いわゆる「近道」を行き出したら、どんなことになるかを知っていたからだ。途中で道に迷ってしまい、普通の道を通るより、ずっと時間がかかるのが常であった。

あせらないで、しっかり握り締めよ、そうでないと的をはずす。そしてそれは罪なのだ。

私の妻は時々、私に何かを聞いても、すぐに返事が返ってこないから、イライラすることがある。しかし、正しい答えをするには、考え、祈るための時間が必要なのだ。即座にべらべらとまくしたてるのは誰にだってできるが、実際に正しい答えを言っているとは限らない。語るにおそく、怒るにおそくあるべきである! ゆっくりやりなさい。時間をかけて。その方が楽しさも増すことだろう。ゆっくりの方が、人生はより豊かになる。

私の父はよく、次のようなおかしな歌を歌っていた、「あたふたするな、あわてるな。さもなきゃ、痛い目みるか、墓場行き、それか、いつの間にやら女房持ち!」

あせらないで、しっかり握り締めよ。そうでないと、的をはずしてしまう。そして、それは罪なのだ!

「なまけ者よ、ありの所へ行け」(箴言6:6) しかし、忙しく働くありの動きを観察し、そこから何かを学ぶには時間がかかる。「熱心で、なまけることのないように」(ローマ12:11 [欽定訳]) ナマケモノは、一日中木にぶら下がり、目を閉じて眠っている。ほとんど動かず、まるで木の一部でもあるかのように。のろいどころか、まるで死んでいるかのようだ。

射撃位置についた時、私は決して急がなかったが、撃つのを忘れはしなかった。あせって引き金を引いたりせず、時間をかけて正確に的を狙い、それから、ゆっくり握り締めたのだった。

何事にも節制しなさい。「あなたがたの節度を、みんなの人に示しなさい。」(ピリピ4:5 [欽定訳]) あまり速く走ってはいけない。転ぶかもしれない。もちろんぼさっと座っていてはいけない。何かをしなさい。ただし、「歩きかたによく注意」すること!(エペソ5:15)

あせらないで、しっかり握り締めよ。そうでないと、的をはずしてしまう。そしてそれは罪なのだ!

今、立ち止まり、あたりを見渡し、耳を傾けて下さい。イエスはあなたの心の戸をたたいています。この短い祈りを祈って、イエスに心を開いて下さい。

イエス様、私がもっとゆっくりし、私の人生への導きをあなたから聞くための時間をとるよう助けて下さい。私にはあなたが必要です。そしてあなたのゆるしが必要です。どうか今私の心の中に入り、あなたからの贈り物である永遠の命を与えて下さい。そしてあなたの聖霊で満たし、あなたの愛を他の人に伝えるのを助けて下さい。イエスの御名(みな)で祈ります。アーメン。