読書コーナー

世界を変えよ!

デービッド・ブラント・バーグ

1913年、 フランス南部のプロバンス地方で「ウォーキング・ツアー」 に出かけた20歳くらいの若者がいた。「ウォーキング・ツアー」とは、バックパックと寝袋を携帯して、人の少ない森などをハイキングすることである。おもに裏道や山道を通り、簡素なキャンプ場、農家などに泊めてもらう。

当時のプロバンス地方はひどい田舎で、農作物の育たない荒れ地だった。森林伐採や、集約農業のやりすぎで、ほとんど木のない不毛の地と化したからだ。そして土を保っておく木がないために、土壌は雨に流されていた。

というわけで、若者が旅していたこの土地は非常にやせていて、農業もほとんど行なわれていなかった。村は活気がなく、すたれ、大部分の村人は村を捨て、他の土地へと引っ越していた。

野生動物さえ姿を消してしまっていた。動物にも住むために安全な場所、安心できる繁みなどが必要だが、木がなければ、雑草や低木も育たず、生きていくために必要な食べ物もなかったからだ。水も必要だが、その地域には木がなく、土地は水分を保つことができないので、ほんの僅かな流れしかなかった。

ある夜、この若者は羊飼いの小屋に泊めてもらった。その羊飼いは白髪まじりで50代半ばだったが、なかなか壮健だった。親切な羊飼いは、若者を暖かくもてなし、若者は何日かそこに泊まらせてもらった。

夜になると、羊飼いは、ランプの光をたよりに何時間もかけて、木の実をより分けていたので、若者は好奇心をそそられた。カシ、ハシバミ、クリなどの実を、テーブルの上で非常に慎重かつ真剣に選り分け、質の良くないものは捨てていった。ついにその夜の仕事が終わると、羊飼いは選んだ木の実をナップサックに入れたのだった。

次の日、羊の群れを連れて外に出た羊飼いは、行く先々で昨夜の木の実を植えていくのだった。羊が草を食べている間、羊飼いはその辺りをまっすぐ歩いていった。何歩か歩いては、杖で地面をぐっと押して、深さ数センチの穴をあけた。それから木の実をその穴に落として足で土をかぶせるのだ。羊飼いはまた何歩か歩くと、乾いた地に杖で穴をあけ、木の実を落とした。こうして羊飼いは日中ずっと、羊に草を食べさせながら、プロバンス地方を何キロも歩き回った。毎日違う場所に行き、殆ど木がない場所に、木の実を植えていったのだった。

不思議に思った若者は、羊飼に尋ねた。

「一体何をしているんですか?」

「木を植えているんだよ。」

若者は思わずこう言った。

「でも、どうしてですか? この実が育って木になり、あなたがそこから利益を得るのは、まだ遠い先の話ですよ! 木が大きくなるまで、生きていないかもしれないし!」

「その通り。だが、いつか木は大きくなって誰かの役に立ち、この地域が前のような美しい所になる助けになるだろう。わしはそれを見ることができんかもしれんが、わしの子供達が見ることだろう。」

若者は、実際にその成果を見たり、利益を得たりすることはないかもしれないのに、これからの世代のために住み良い土地を作ろうとする、その長期的な展望と無私の姿に感動したのだった。

20年経ち、その若者は40代になった。再びプロバンス地方に行った彼は、そこでの光景に思わず目を見張った。谷間全体が、様々な種類の木が繁る美しい森で覆われていたのだった。もちろんまだ若木で、6、7メートルしかなかったが、木には違いなかった。その谷全体に生命がみなぎっていた。青々とした草、潅木、そして動物達もいた。土地は潤い、農夫達も畑で働いていた。

「あの羊飼いはどうなったんだろう。」と、彼は思った。驚いたことに、羊飼いはまだ生きていた! 相変わらず、あの小さな小屋で、毎晩、木の実をより分けていたのだった。

そしてこの40代の訪問者は、最近フランス政府の視察団がパリからこの新しい森を見に来たことを耳にした。視察団は、この谷間と地方全体が美しい若木や草に覆われたのは、この一人の羊飼いが、何年にも渡って、来る日も来る日も羊を見ながら、休むことなく、木の実を植えていた結果だということを知ったのだ。彼らは非常に感銘を受け、その羊飼いに深く感謝したので、たった一人でこの地域全体に緑をもたらした功績を称えて、羊飼いに特別年金を与える事をフランス下院議会で決定したのだった。

プロバンス地方を再び訪問したあの男性は、その変わりようにたいそう驚いたそうだ。美しい木が生えていただけではなく、農業も復興し、野生動物が住み、地面も美しい緑におおわれていた。小さな農場では作物が豊かに育ち、村はまた活気を取り戻したようだった。すっかり荒れ果て、見捨てられていた20年前とは大違いだった。

こうして活気を取り戻したのも、一人の人の先見の明と、来る日も来る日も、何年にも渡って自分にできる事を行なうというたゆまぬ努力、忍耐、犠牲、忠実さのおかげだった。

それだけではない。あの若者は羊飼いに、「自分が何かためになることをしたのかどうかを、生きて目にすることもないではありませんか?」と言ったが、羊飼いは、89才になるまで生きた! だから自分の植えた木の実がすっかり成長して美しい森となり、その地方全体が完全に変わるのを見る事ができたのだった! 神は羊飼いを祝福され、羊飼いが生きながらえてその努力の報いを見られるようにされたのだ。彼は神が自分を通してなされた偉業を目にしたのである!

そこで思い出すのは、新約聖書にあるパウロの言葉だ。「私達は善を行なうことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」<1>

だから、世界の現状にがっかりすることがあっても、決してあきらめてはいけない。大きな国々の政府や軍隊や戦争によって、歴史の流れや世界の状況が変わっているのを見て、がっかりすることもあるだろう。「ああ、私などつまらぬ存在ではないか? 何ができるというのか? お先真っ暗で、できる事など何もないみたいだ! たった一人で世界を良くするためにできることなんて何もない。だから努力しても、何になるだろう?」

しかし、この素朴な羊飼いが何十年にも渡る努力によって証明したように、たった一人でも世界を変えることができる! 世界全体を変えることはできないかもしれないが、自分がいる部分は変えることができる。もし一つの人生を変えたなら、世界の一部を変えたことになる。これは、世界全体も変わる望みがあることを証明している。一つの人生を変えられるなら、もっと変える事ができるという可能性を示しているのだ。それも、誰か一人の人が始める事で。それはあなたかもしれない!

数年前に私と妻がここに移ってから、多くの人の人生が変わった。苦労している割には、あまり成果が見られず、とてもゆっくりで、ひたすら骨の折れる努力が続くこともあったが、それでも沢山の種を蒔くことで、多くの人生を変えてきた。最初私達は2人だけだったが、私達によってキリストに勝ち取られた何百もの人々が神の言葉を宣べ伝えて、種を蒔いており、これらの種から、さらに多くの新しい「木」が生えることになる。誰もが、私達のことや活動、仕事、信条、また、何を教え、何を実践しているのかについて話しているのだ。

状況は全く不可能に思えた。しかし、私達は神の御言葉、福音、キリストの愛の真理の種を周りにいる人の心に植え始めた。私達は全員をいっぺんに変えようとはしなかった。そんな事は不可能だ。しかしゆっくりと、忍耐をもって、心を一つずつ、人生を一つずつ、優しく、愛をもって、毎日一人一人に、何年もかけて働きかけたのだ。

だから、誰もがその成果を見るし、それについて話すし、彼ら自身が変わってきている。人々の心を変えるという私達の努力をかなり疑っていた著名な医師がいたが、その医師もついに、私達がこの市に素晴らしい影響とインパクトを与えたことを認めたのだった。彼はこう言った。「この市は長い間、このような影響を必要としていた。私達は豊かだし、金もある。しかし、あなた達がもたらしたような精神的な影響はなかった。ここにはそのような影響が本当に必要です。」

私達はこの町に影響を及ぼしたのだった。全員がイエスを知るようになったわけではないが、ほとんど誰もが神の愛のメッセージが宣べ伝えられるのを聞いた。多くの人がやって来て、私達が与えていた愛と真理に直接あずかった。私達は、少しずつ、毎日毎日、心から心へ、種を一つまた一つと蒔いていたのだ。今、若木からなる新しい森が育ち始め、成果が現れ、目に見え始めてきた。だから、その事は人々の話題にのぼり、皆が感嘆の声をあげているのだ。

あなたにもできる! 自分の心、思い、精神、生活から始めてみてはどうだろう。イエスを人生に受け入れ、神の御言葉を読み、そこに書かれた原則を自分の人生にあてはめることによって。今住んでいる世界を変えよう。つまり、自分の生活、家庭、家族を。その時、世界を、つまりあなたの世界を変えたことになる!

それから、その小さな家族が、近所の人、友人、毎日の生活で出会う人々を変えることが出来る。あなたも、孤独で、助けを必要としている人々に愛の手を伸ばそうと特別な努力をしてみてはどうか。愛や真理を探し求めている人々、何を求めているか自分でもわからないが、幸せになることを求めている人々、御言葉の水と神の愛の暖かさがないために、空しく、乾ききった、みじめな心を何かで満たそうと必死に切望し、待ちこがれている人々が大勢いる。

それは、ただ個人として、自分や、自分の家族だけで始めることができる。ただ、一人また一人、心から心へと、日夜種を植えていくのだ。どこであれ、福音の小冊子を配ることもできる。毎日たゆまず、忠実に、忍耐をもって一つまた一つと種を植え、空しい心から空しい心へと神の御言葉の真理の小さな種を落としていき、それから、神の愛の暖かさでおおうのだ。その後は、神の御霊と大いなる神の愛の暖かい光、そして御言葉の水が、奇跡を行なって、新しい命を生み出してくれると信頼しなさい。

最初の内は小さな芽、うっかり踏みつぶしてしまいそうな新芽にしか見えないかもしれない。「森が必要だというのに、こんなちっぽけな芽が何になるんだ。」と思うかもしれない。しかし、これはただの始まりにすぎない。これは新しい命の奇跡の始まりであり、この芽はどんどん成長して生い茂り、ついには大きくてたくましい全く新しい木、新しい生命、さらには全く新しい世界となるかもしれない。

誰かの人生を変えるのに、そんなに多くを要しないこともある。私が1967年のモントリオール万博のソ連館に家族で行った時の出来事もその一例である。当時、私の母は80才だった。パビリオンの中に入ると、どういうわけか責任者自身が、母に車椅子を持ってきてくれた。その人は、背の高い、きちんとした身なりのブロンドのハンサムな若いロシア人だった。それから、自ら車椅子を押して母を案内し、色々説明してくれた。

この若いロシア人はパビリオンの内部を案内しながら、母に様々な展示物の説明をし、二人は2時間近く真剣な会話をかわしていた。しかし後でわかった事だが、その会話は、ただ「機械装置」についてではなかった。ソ連館を出る時、そのロシア人は名残惜しそうに、「ぜひまた来て下さい!」と言ってくれた。非常に誠実で親切な人で、短い時間一緒に話したことで、母とすっかり親しくなったようだった。

数週間後、その人から手紙を受け取った。手紙にはこう書かれていた。「あなたは私の人生を変えました! 私はあなたが勧めてくれた通り、キリストを受け入れました。あなたに会って、私の考え方も信条も完全に変わりました。あなたは私を変えたのです! けれども、私には妻と3人の子供がいます。それに私の国は、法律によってキリスト教が禁じられている共産主義国です。これからどうすればよいのでしょう?」

母が返事に書いたアドバイスは、大体このようなものだった。「世界を変えることですよ。自分のいる世界を変えてはどうですか。今始めて下さい。神があなたになされた事、神の愛と真理があなたに直接何をしたかを話して下さい。そうやって、世界の中のあなたのいる部分を変え始めることができますよ。たとえそれが共産主義の国であっても。」

忠実に神の愛の種を蒔いているなら、政府から報酬を受けたあの羊飼いのように、あなたにも、天の報酬を受け取る日に神が報いて下さるだろう。その時、神はこのように言われる。「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」<2>

あなたにも世界を変えることができる! 今日始めなさい。自分の人生、家族、家庭、近所の人を変えよう。自分の町を、国を、そして世界を変えようではないか!


<1> ガラテヤ6章9節

<2> マタイ25章21節