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赤いトラック
アン・オニール

5人の弟、1台のトラック、そして私。まだ幼い私の頭には、これはかなりのジレンマでした。

私は6人きょうだいの長女で、すぐ下には5人の騒々しい弟たちが続いていました。両親は今ではもう他界して天の報酬を受けに行きましたが、二人とも信心深く、私たちは笑いと愛と祈りで満たされた家庭で育ちました。けれども、お金にはしばしば不足していました。記憶にある限り、分け合うこと、信仰、神への信頼、与えることという美徳は常日頃から実行していました。

私はよく、「もう十分したじゃないか」と考え込んだものです。大家族を持ち、収入が少ないというのに、両親は私たちよりも恵まれない家族を助けることを習慣としていました。

先ほどのジレンマの話に戻ります。・・・その年は、クリスマスが来るのが早すぎたかのようでした。困難な時期で、父も母も、一年に一回だけの、色とりどりの飾り付けやライトや願いごとのためには、たいしたお金を取っておくことができませんでした。

うちには松の木があって、父と弟たちがそれを切って家に持って帰りました。食べ物はあって、家は暖かく、皆、健康でした。ただ、プレゼントのためのお金がなかったのです。少なくとも、私たち6人の子どものために買う分には足りませんでした。

ある日、父が仕事から帰ってくる途中、ぴかぴか光るきれいな赤色の木製トラックがセールに出ているのを見つけました。男の子にはぴったりのプレゼント。皆で一緒に遊べます。やっとのことでお金をかき集めたのでしょうが、私のために女の子らしいお人形を買うお金は全然残っていませんでした。それが私をジレンマに陥らせたのです。

父と母は私に選択を任せました。私にもプレゼントをくれたかったのですが、父と母が持っているお金で男の子たちのプレゼントを買っていいなら、私には後で何か他のものを買ってくれるというのです。父と母は、クリスマスの日に何もプレゼントがないというのは、私にとってきっとがっかりさせられることだと知っていました。私も、普通の状況なら、父と母がそんなことを聞くはずがないとわかっていました。けれども、両親はきっと、このジレンマを、私に与えることの喜びを教えるためのチャンスとして見ていたのだと思います。

どうにかして、私は悲しみの涙を流す代わりに、勇気を奮い起こして、弟たちにトラックを買っていいと言いました。クリスマスの日、トラックを行ったり来たり走らせ、追いかけ合ったり抱き合ったりする弟たちの嬉しそうな表情を見て、私は、弟たちを喜ばせる機会という最高のプレゼントができたんだと気づきました。

けれども、何年も経つ内に、私は犠牲を払うのに疲れ果て、ずっと昔のそのクリスマスの朝に経験した喜びをだんだんと忘れていきました。

大人になって、求められている以上の、あるいは私にとってはやり過ぎだと思えるほどの犠牲を払ってきた、両親の喜んで与える行為の美徳をどこかに忘れてしまいました。ですから、これから話す特別な経験がなかったなら、きっとこの貴重な教訓を完全に理解することはできなかったでしょう。

高校を出て働き始める頃には、私は乏しい状況で生活するという考えにはもううんざりでした。自分のために快適な暮らしを築き、他の人の必要の代わりに、自分の必要だけを気にかけようと心に決めたのです。

いつの間にか、私も自分の子どもを二人育てるようになりました。夫には安定した仕事があり、私たちは小さいながらも居心地の良い家に暮らしていました。私は食事を作ったり泣いている子どもをあやしたり、こぼれたものを拭いたり割れたガラスを片付けたり、コブやアザを手当てしたりなど、いくつものことを同時にこなす技能を身につけようと懸命でした。自慢の小さな息子たちは、私の喜びでした。そして、私は彼らに必要なものは何でも与えようと心に決めていたのです。

私はクリスチャンとして教えられてきたことをすっかり忘れたわけではありません。神への信仰はありました。祈り、聖書を読み、私の両親のように良きクリスチャンの手本になろうと試みました。それでも、自分の必要と家族の必要を最優先させようと決心していたのです。自分たちに必要なものがそろったら、他の人の世話を気にかけようと。余分があればもちろん分け合うけれど、自分の損になってまでは与える気はありません。

私は、息子たちがもう着れなくなった服やおもちゃを取り出して、貧しい家族にあげました。心の中では、もっとできるはずだ、もしかしたら、神は私がもっと与えることを期待していたかもしれないとわかっていました。けれども、そこまでする心の準備はできていませんでした。そこまで与えたいとは思わなかったのです。

私は傷つくことを恐れていました。喜びを忘れていたのです。私は、子どもの頃、大切なものには何一つ事欠くことなく育ってきたことを忘れていました。神はいつだって私たちを世話され、いつだって十分に供給されたのです。そして、その年のクリスマスに、私と家族にとって貴重な教訓が待っていたことを、私には知るよしもありませんでした。

夏の日差しが勢いを失うとともに、私の経済成長及び安定計画も勢いを失い始めました。夫は9年務めてきた会社を解雇されました。会社が規模を縮小し、ある日突然、私たちの生活は急変したのです。貯金をくずせば2ー3ヶ月は暮らしていけますが、その間に夫が良い仕事を見つけないなら、厳しい状況に陥ってしまいます。

私の生い立ちは、あまり多くのものなしに暮らしていくためのスキルを磨いてくれました。この本能とも言える反応が、すぐに作動しました。私は出費を抑え、貴重な蓄えをしっかりと守り始めました。夫にかかるプレッシャーがきつくなりすぎないよう、お金をできるだけ長くもたせようと心に決めました。夫は毎日職探しに出かけました。短期の仕事が入って、そのたびにわが家の生命線は少しずつ伸びましたが、繁栄への望みは次第に私たちの手をすり抜けていきました。

私たちは絶望しないよう努めました。祈るよう努め、信仰を忘れないよう努めましたが、日が経つごとにお金はなくなっていきました。3歳と5歳の二人の息子がいるので、私は仕事に就くことはできませんでした。

誰かから何かが必要だと言われたり、助けを求められたりすると、私はいつも悲しそうに頭を振って、もっと暮らし向きがよくなったら喜んで助けよう、と自分に言い聞かせました。「神以上に与えることはできない」という、子どもの頃から慣れ親しんできた概念は、もうすっかり忘れ去られていたのです。

クリスマスが近づいたある日、ドアをノックする音で、ずっと忘れていた記憶がよみがえりました。一番下の弟が来て、今も彼が住んでいる両親の家の屋根裏部屋からおもちゃを見つけ出し、それを息子たちに持ってきてくれたのです。かつてはピカピカに光っていた赤いトラック。あのクリスマスの思い出がどっと蘇りました。涙とほほえみと、深い満足がもたらしてくれる暖かな温もり。そんな思いはずっと抱いていなかったなと、今、気づきました。

弟は大きな笑みを浮かべながら、上の息子に、古びたトラックを手渡しました。「ロビー、このトラックはね、お前の5人のおじさんたちに、とてもたくさんの幸せをもたらしてくれたんだ。お前もきっと喜ぶと思ってね。」 そして、弟は私にハグし、仕事に遅れるからと言って急いで家を出て行きました。

その日の午後、クリスマスの食事に必要なものを買いに車で食料品店に向かう途中でも、まだ、ずっと昔のクリスマスの思い出が尾を引いていました。

その途中、デイブ・トーマスの家を通りがかりました。トーマスさんは以前夫と同じところで働いていて、奥さんにも近くの公園で何度か会ったことがあります。私の夫よりも一ヶ月先に解雇されており、4人の小さな子どもがいます。彼も仕事を探していましたが、奥さんはものすごく苦労していました。一家にとってはとても厳しい状況で、4人も子どもがいるので、仕事があった時でさえ、あまり蓄えはできていませんでした。

私は彼らを気の毒に思いました。けれど、二人の息子の食べ物を買うお金で、トーマス一家を助けることなどできるでしょうか? 私たちに必要なものを、彼らにあげることなどできるでしょうか? 夫が職を失ってからもう3ヶ月で、蓄えはほとんど尽きています。それでも、トーマスさんたちは私たちよりも大変なはずです。どうにかして数日倹約し、彼らを助けることもできます。

私は両方の側を考え、心と頭の間で板挟みになりながら、何度も、ああしようか、いや、こうしようか、と思い直しました。店に入ってぶらぶらして気を紛らわせながら、どうするか決めようとしました。ふと、おもちゃの棚が目につき、そこに真っ赤なトラックがあることに気づきました。

ずっと昔のクリスマスの時の与える精神が、時間という試験を生き残ったことに、私はだんだんと気づき始めました。それはまだ私の心の中にあったのです。その満足感をもう一度見出すチャンスに恵まれたのです。あの赤いトラックが行ったり来たりする光景と、それを見ながら、心の中で、「これでよかったんだ」と思った記憶を振り切ることはできませんでした。ロビーがその朝、トラックをもらってどれほど喜んだかを思いました。

そして今私は、これなら楽に与えられると思っていたものよりも、もう少し多くを与え、自分自身にとって痛手になり、自分に必要だと思っていたものに手をつけてまで与えるためのチャンスに、もう一度巡り会えたのです。

私は正しい決断をするための勇気をどうにかして見出し、その日、自分の家族のための買い物の二倍の品を、慎重に選びました。レジの所まで行って、ふと気づきました。うちは4人家族だけれど、トーマスさんは6人家族だと。それで、自分の家族のために買おうとしていたカゴから、幾つかのものを、ゆっくりともう一つのカゴに移しました。そして、急いで支払いを済ませました。気が変わらないうちに済ませたかったのです。

家に帰る途中、私はトーマスさんの家のすぐそばの角で立ち止まりました。トーマスさんが、裏庭で遊ぶ子どもたちを見ています。奥さんがキッチンで夕食をつくりながら、鼻歌を歌っているのが聞こえます。見つからないように気をつけながら、私は食料品の入った箱を一箱ずつポーチまで運んで、そっと玄関先に置きました。それから、ドンドンと強くドアをノックし、近くにあった低木の影に隠れて、そっと様子をうかがいました。

料理で忙しい奥さんが、「あなた、ドアに出て」と言うのが聞こえました。少し間をおいて、ドアが開きました。男の人の人影が見えます。夕日の中で、猫背で歩く姿と、失望の色が浮かぶ顔が見えました。けれども、その表情は驚きに変わり、それから信じられないといった表情に、そして、次第に微笑みへと変わっていきました。

彼は身をかがめ、食料品の入った二つの箱をかかえながら、ゆっくりと首を振りました。それから誰が箱をそこに置いたのかと周りを見回し始めました。最後に、彼が振り返り、急ぎ足で家の中に入ると、「ああ、神様!」という奥さんの声が響くのが聞こえました。

あの満足感が戻ってきました。それは払った犠牲以上の価値がありました。私はそっと車に戻り、家に向かいました。その夜に祈っていて、私の祈りが聞き届けられていると感じました。私の心の中は満ち足りていました。心に平安があり、なんとかなると、少しの疑いもなくわかったのです。

それから1週間後、夫が仕事を見つけたという嬉しい知らせを持って帰宅しました。大喜びで息子たちにハグし、それから涙がつたうほおで私にハグしました。夕食を作り終え、座って食事をし、興奮が少し収まった頃、どこで働くのか、どうやって仕事が見つかったのかとたずねました。

夫はニコッと笑って、教えてくれました。「デイブ・トーマスを覚えているかい? 前に一緒に働いていたやつさ。結婚していて、4人子どもがいる。覚えているだろう?」 夫はそこでいったん話をとめ、もう一口食べて、私の答えを待っていました。心臓がドキドキして何も言葉が出ず、私はただうなずきました。

「デイブは数日前に仕事を見つけたんだ。それまで暮らし向きはとても厳しくてね。うちよりもずっと大変で、先週もう限界だという所まで行ったそうだ。僕よりも1ヶ月も前から仕事を探していたからね。請求書の支払いをすませ、最後に残ったお金で、その朝のミルクを一箱買ったそうだ。すると、神様が食料品の入った箱を二箱、『空から』降らせてくださったそうだ。すごいだろう?」

私の目に涙がこみ上げてきました。やっとのことでほほえみながらうなずくと、夫は話を続けました。

「その食料品がね、信仰と力をくれたんだそうだ。そこに立って、もし神様がこれだけ自分のことを気にかけてくださるなら、きっと仕事だってくれるはずだと思ったそうだよ。そこで前の日に見かけた張り紙を思い出した。新しくできた食料品配達会社さ。すぐにそこに行って申し込んだら、仕事がもらえたそうだ。働き始めて数日後、上司からもっと従業員を探していると聞いたので、僕のことを思い出したそうだよ。今朝、うちの前に車を止めて、僕を待っていてくれた。そして、上司に会わせてくれたんだ。家に帰る途中、ずっと何を考えていたか、わかるかい? あの食料品をあげた人を、神が祝福されるようにって。その人は知らなっただろうけれど、僕たちの人生にも空から祝福を落としてくれたのさ。」

その時までには、私の顔に涙が流れていました。夫はどうしてそんなに泣いているのかと驚いた様子で、私をじっと見ていました。それから両手を伸ばし、私を抱きしめて、どもり気味に言いました。「こ、この話、きっと気に入ると思っていたよ。」

私の涙は、喜びの涙でした。神以上に与えることは決してできないとわかったからです。自分にとって痛手になるまで与えるなら、神は私たちに祝福を与えるためのチャンスを得るのです。少ししてから、私はやっと夫に返事をすることができました。「とても良い話だったわ。じつは、あなた、あの食料品を買ったのは、私だったの。」

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