クリスマスの名言・格言もくじへ戻る
クリスマスとは、ちょっとした余分のことを誰かのためにしてあげること。
時代遅れであろうがなかろうが、私の考えるクリスマスは、とてもシンプルなものだ。それは、ただ他の人たちを愛すること。そう考えてみると、それをするのにクリスマスまで待つ必要はないよね。
全世界を愛の陰謀に巻き込むこの季節は、幸いなるかな。
あなたを通して神に誰かを愛していただくたびに、それがクリスマスです。
クリスマスを、自分に与えられた恵みを分かち合う機会としない限り、アラスカにある全ての雪をもってしても、ホワイト・クリスマスにはならない。
クリスマスはキャンディのようなもの。口の中でゆっくり溶けながら、すべての味蕾に甘さを感じさせ、これが永遠に続けばいいのにと思わせる。
クリスマスに付け加えるものなどあるでしょうか。その完璧な動機とは、神がこの世を愛してくださったということ。完璧な贈り物とは、神がそのひとり子をお与えになったこと。唯一の条件は、御子を信じること。信じることの報いは、永遠の命を得ること。
クリスマスの香りは、幼少時代の香り。
クリスマスには接着剤のような効果があります。私たちみんなをくっつけて離れないようにしてくれるのです。
クリスマスをどのように過ごすかは、どれだけお金をかけるかよりもはるかに重要だ。
クリスマスは、ホームレスであった方の誕生をすべての家庭で祝うべきだという、美しく意図的なパラドックスの上に成り立っている。
パパ、聞いたことがないの? クリスマスは奇跡が起こるときなの。
私たちは、愛する人たちや人生の慌ただしさの中で出会うすべての人たちに対して、優しく思いやりある親切を示すべきだという真のクリスマスの教訓を学ばなければならない。
クリスマス・ツリーは愛の象徴であって、お金の象徴ではない。ライトが灯されたツリーには、いくらお金を積んでも買えないような輝きがある。
プレゼントを贈ることは、人間が考え出したことではありません。気前の良いプレゼントを与え始めたのは神です。神は、言葉に表すことなど到底できないほど素晴らしい、御子というプレゼントを与えてくださいました。そして、そのプレゼントは永遠に世界を変えたのです。
クリスマスは一緒に過ごすための休日だよ。
包装紙選びに気を取られて、クリスマス・シーズンのプレゼントとは単に愛であることを忘れてはいけない。
クリスマスの本当の意味を実感したければ、お返しのできない人に何かを与えるといい。
クリスマスの喜びを広める一番の方法は、みんなに聞こえるくらい大きな声で歌うことさ。
私たちの心は、子ども時代の思い出と親族からの愛で優しく育っていく。そして、クリスマスに子どもの心を取り戻すことによって、一年を通してよりよい人となることができる。
特別なクリスマスを思い出してみれば、そのクリスマスを特別なものにしていたのはプレゼントではなく、笑い声であり、愛の気持ちであり、友人や家族との一体感だったとわかるでしょう。
真のクリスマス精神とは、自分の幸せよりも他人の幸せを優先することであり、それによってこんなにも幸せを味わえるのかと気づくことである。
クリスマスほど人々をひとつにするものはないようだ。
クリスマスは、欲を出すことなく、美しい姿のままにしておきましょう。
毎日がクリスマス。イエスは今日もあなたの中に生まれる。
12月に一日しか
クリスマスの日は来ないけれど
あなたの言動には一年を通して
クリスマスが現れますように
あらゆる良き贈り物をたもう神よ、この贈り物を送り、受ける季節に、イエスが、「受けるよりは、与える方が、さいわいである」と語られたことを覚えさせてください。
愛とは、クリスマスにプレゼントを開ける手を休めて耳を傾ける時に、部屋の中に感じられるもの。
今世界に満ちみちている全ての苦しみと私たち一人一人は決して無関係ではないはずです。私たちはなんのためにこの世に生まれてきたのか? それはただひとつ、愛のためです。それをイエスから私は学びました。クリスマスはそのイエスの誕生日なのです。
何であれ、無私の心を呼び起こすものは、私たちの魂を高めてくれます。それが、クリスマスの成すことです。私はクリスマスに大賛成です。
今から2000年以上前、牛や羊に囲まれた馬小屋でしか休むことのできなかった二人の信心深い旅人に、一人の子が生まれた。しかし、この子はただの子ではない。キリストの誕生は天使たちを喜ばせ、羊飼いや遠くの王たちを引き寄せた。キリストは、私たちに対する神の現れであった。
クリスマスって、素晴らしい時だと思います。親切になり、人を許し、情けを示し、楽しむ時です。男も女もみんな隔てなく、ふだんは閉ざしている心を大きく開きます。それに、自分たちより貧しい暮らしをしている人たちも墓というおなじ目的地に向かう旅の道連れなのであって、行先の違う赤の他人なんかじゃないってことを思い出すんですから。
(主人公の甥フレッドの言葉)
クリスマスの日に鐘の音を聞いた
昔懐かしいキャロルが流れ
熱烈に、また優しく、こう繰り返す
地に平和あれ、人に善意あれと
ツリーの下では、みんなが溢れる愛を感じるべきなのだ。
クリスマスは、与える範囲を広げる時。孤独な人や困窮した人にも、近くの人にも遠くの人にも、手を差し伸べる時。クリスマスとは、分かち合うこと。
クリスマス・イブに、赤の他人なんてものは存在しない。
二千年以上前に起きたことが今日でも覚えられているのは驚きです。イエス・キリストの誕生、それこそがクリスマスの理由なのです。
クリスマスの朝、私たちは自分のプレゼントを開ける前に、知らない人の家にプレゼントを持って行ったものです。掃除を手伝い、クリスマス・ツリーを飾ってあげたのを覚えています。私たちは他の人たちの手助けをする責任があると、父は信じていました。
イエスがいなければ、それはクリスマスではありません。お祝いをしていたとしても、それはクリスマスではないのです。
クリスマスは、平和なものであるということを忘れないでね。
クリスマスで大切なのは、必ずしもモノではなく、互いに親切であること。
クリスマスに愛が降りてきた
うるわしき愛 神からの愛
クリスマスに愛が生まれた
星や天使のしるしと共に
クリスマスはただのプレゼント以上のもの。それは愛と団らんの時。
私はクリスマスが大好きです。プレゼントがあるからと言うだけではなく、デコレーションやライト、そしてこのシーズンの温かみが好きなのです。
私たちが心と心を触れ合わせ、手と手をつないでいるかぎり、クリスマスはいつまでも続く。
クリスマスとはキャンディーのステッキや輝くイルミネーションではなく、私たちが触れる心と私たちが示す思いやりのことなんだ。
『ミッキーのクリスマスの贈りもの』
クリスマスは、神と家族の愛を祝い、永遠に続く思い出を作る絶好の機会である。
クリスマスは、ただ1日だけではなく永遠に、愛し、分かち合い、与える時。ベルやライトやティンセルのように、箱に詰めて棚に片付けるべきものではない。あなたが他の人のためになす善は、自分のためになるのだ。
あなたにクリスマスの星の輝きが与えられますように。
故郷と家庭の温かみが与えられますように。
友人からの応援と善意が与えられますように。
子どもの心に宿るような希望が与えられますように。
一千の天使の喜びが与えられますように。
御子の愛と神の平安が与えられますように。
人の嫌がる煙突から降りて人に恵みをもたらしていく。普通の道から行かず、黒く汚れながら、恵みを運ぶサンタクロウス。彼において苦難を突破するクリスマスの意味を思わせられる。
降誕祭、クリスマス、ヴァイナハット、ノエル、ラズジュストヴォ、世界のあらゆるところで誰が強制するわけでもないのに、多くの人が、共に祝い、共に歌い、共に祈り、共に礼拝する。降誕祭には愛があり、和解があり、希望がある。私たちの心をもう一度上に向ける希望がある。
私たちはクリスマスの精神をしっかり持ち続けようと努めるべきです。1年に1日だけではなく、365日すべてにおいて。
クリスマスとは、喜び楽しみ、休日の挨拶を交わし、プレゼントを渡し、家族の団らんを楽しむ季節。
クリスマスは、言うまでもなく、家に戻るべき時だ。体だけではなく心も。
クリスマスとホリデー・シーズンは、与える季節。この時期になると、皆いつもより優しく親切になるものです。
クリスマスの温もりと喜びは、家から家へ、心から心へ、一つの場所から他の場所へと伝わり、私たちをお互いに近づけてくれる。
クリスマスは必要不可欠だ。少なくとも年に一度、私たちは自分以外の何かのために存在しているのだと思い出させてくれる日がなくてはならない。
時間や愛という贈り物こそが、真に楽しいクリスマスに必要な基本要素。
クリスマスは、立ち止まり、自分の周りにある大切なものについてじっくり考える機会をくれる。それは、過ぎ去った1年を振り返り、翌年の備えをするための時。
過去のクリスマスを思い起こしてみれば、たいがいの場合、盛大な行事ではなく、ほんのささやかなことが、もっとも幸せな輝きを放つものだと分かる。
クリスマス・ツリーを囲む贈り物のうちで最高なもの、それは、お互いを包み込む、幸せな家族の存在。
私が歌ったことを覚えている最初の曲はクリスマス・ソングです。そして、初めて音楽につながりを感じたのも、クリスマスの曲を聴いた時でした。
クリスマスは、魂を元気づける。心を動かして、自分のことよりも他の人たちのことを思いやらせる。思いを導いて、与えることを考えさせる。
クリスマスとは、心から心へと伝わる気持ち。ルビーよりも貴重で、黄金よりも素晴らしい。
クリスマスの情景や音の一つ一つ、そしてその崇高な香りが、この輝かしいクリスマスの時期に私たちの心も顔も幸せにする。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。
クリスマスは楽しくある。クリスマスが楽しいのは、その日に、わが慰め主にして救い主なる神が生まれたもうたからである。
クリスマスは喜びと思いやりの日。神がその両方とも、あなたに豊かに与えてくださいますように。
愛の光を最も必要としている人に与えることによってお祝いしてこそ、クリスマスは真にクリスマスとなる。
クリスマスは、心で考えるとき。
私たちはクリスマス・シーズンを、単に物をあげるだけの機会ではなく、それよりもはるかに大切なもの・・自分自身を与える機会とすべきだ。
星のきらめく穏やかな夜に、あたかもキラキラ輝くクリスマス・プレゼントの包装紙を破るかのように、天使たちは夜空をめくった。そして、まるで決壊したダムから水が流れ出すように、天から光と喜びがほとばしり出て、天使たちは赤ん坊のイエスがお生まれになったという知らせを大声で告げ、歌い始めた。この世界に救世主が来られたのだ! 天使たちはそれを「よき知らせ」と呼んだが、まさにその通りだった。
クリスマスが伝えるメッセージとは、私たちは決してひとりぼっちではないということ。
クリスマス自体が、はるか昔に与えられた贈り物
クリスマス・プレゼントの始まりは、誰かの心からの贈り物
キリストがクリスマス、その日は主の日
それこそがクリスマス・プレゼント
(ラリー・ブラウン、キーツ・タイラー)
「八人の 子供むつまし クリスマス」
(この句により、「クリスマス」が、
俳句の世界で初のカタカナの季語として認められる)
あなたにクリスマスの喜びである希望がありますように。
クリスマスの霊である平安がありますように。
クリスマスの心である愛がありますように。
クリスマスに限らず一年を通じて、あなたが他の人に喜びを与えれば、それはどうにかしてあなたに返ってくる。
最高のクリスマス・プレゼントは一番お金をかけたものではなく、一番多くの愛がこもっているもの。
いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。
私にできるどんなことも、宇宙の構造を変えることはできない。けれども、おそらくは声を張り上げることによって、地上で御心にかなう人々に平和をもたらすという、すべてのうちで最も素晴らしい大義に一役買うことができるのだ。
私は本気で信じている。クリスマスの物語を語り続け、クリスマスの歌を歌い続け、クリスマスの精神に生き続けるならば、この世に喜びと幸せと平和をもたらすことができるのだと。
私たちが毎日クリスマスを生きるとき、地上の平和は訪れる。
クリスマスの本質とは、あなたの与えるプレゼントにあるのではなく、分け合われる愛のうちにある。
クリスマスはこの世界に魔法の杖を振る。ほら、すべてがより優しく、より美しい。
クリスマス・プレゼントの提案。
敵には許しを
競争相手には寛大さを
友には自分の心を
顧客にはサービスを
すべての人に慈悲を
すべての子どもに良き手本を
そして自分自身には尊敬の念を。
クリスマスは神聖なる友情に捧げられし祝日なり、是れ特別に友人を思ふの日なり。
大切なのは、贈り物の大きさではなく、それを贈る心の大きさ。
この12月、覚えていてほしい。きらびやかな金よりも、愛の方がずっと重みがあるということを。
クリスマスの時期に、本当の意味で目が見えていない人というのは、心にクリスマスを持っていない人だけ。
クリスマスは、玄関にもてなしの火をともし、また心に愛の優しい炎をともす季節。
クリスマス、それは私たちを包み込む魔法の毛布、また、目には見えない、まるで香水のようなもので、郷愁の魔法をかけることもある。クリスマスは、宴会の日であったり、祈りの日であったりするが、どんな時にも記念の日である。私たちが愛した全てを思い起こす日なのだ。
クリスマスには、すべての道が故郷へと向かう。
クリスマスが伝えているのは、目に見える物質の世界は、目に見えない霊の世界と結びついているということ。
心の中にクリスマスがないかぎり、それはそもそもクリスマスなどではない。
子どものころ、クリスマスになると、靴下にものを入れてくれた人のことを感謝したものだ。靴下に入る足を与えてくださった神のことを、なぜ感謝しないのだろうか。
クリスマス! この日をすべての人の誕生日となさなくてはなりません。私どもの敵も味方も、みな再びこの日に生まれ変わらなければなりません。世界万国の人がみなこの日をその誕生日と定むるに及んで初めて真個(ほんとう)の平和が地上に臨むのであります。
クリスマスという名前自体に、不思議な力があるようだ。
クリスマスの主役は、家畜小屋で生まれ、世界を永遠に変えた一人の赤ん坊。
クリスマスは、意義深い日、伝統的な日、あたたかい家族や友人に囲まれて過ごす特別な日。
クリスマスの雰囲気をいくらか瓶に詰めておき、毎月ひとつずつ開けられたらいいのに。
クリスマスとは何だろうか。それは過去への優しさ、現在への勇気、未来への希望。すべての杯が永遠に続く豊かな祝福であふれ、すべての道が平和に至るようにとの願い。
心にクリスマスを持たない人が、ツリーの下にクリスマスを見つけることは決してない。
クリスマスに親切でいるのは、残りの一年中あるべき姿でいるためのいい練習です。
人類はあらゆる人種や宗教が集まった巨大な家族です。クリスマスが来て神の愛を思うたびに、私たちは皆兄弟であることを思い出すのです。
利己的態度はクリスマスを重荷にするが、愛はクリスマスを喜びとする。
クリスマスの精神を祝うとは、自分自身を忘れて他の人に奉仕すること。
クリスマスの精神、それは愛であり、人の心と人生を変える。
兄弟にほほえみかけ、助けの手を差し伸べるたびに、それがクリスマスなのです。
クリスマスとは、特定の日のことではなく、心のあり方を言う。
理想的なクリスマスというものはありません。クリスマスとは、あなたの価値観、願い、愛情、伝統をどう映し出すかなのです。
クリスマスは時期やシーズンのことではなく、心のあり方。平和と善をいつくしみ、憐れみ深くなること、それがクリスマスの真の精神。
地上は、この世の煩い事のために年老いてしまったが、クリスマスの時にはいつも若くなる。
心の中にクリスマスがあってこそ、クリスマスの雰囲気がかもし出される。
クリスマスの精神は、人類最大の飢えを満たしてくれるもの。
クリスマスの意味は、プレゼントを開くこと以上に、心を開くことにある。
時には童心に帰るのも良いことだ。特に、クリスマスには。クリスマスの素晴らしき創設者も、その日は子どもであられたのだから。
覚えていてください、あなたの心にクリスマスが見つからないなら、ツリーの下にも見つかりません。
クリスマスらしい生き方をすることが、クリスマスらしい与え方の最善の形。
(クリスマスは)確かに楽しく過ごすべきシーズンですが、それと同時に、そうでない人のことを考えるべき時でもあります。
クリスマスはすべての時をひとつにつなげる日。
歴史の蝶つがいは、ベツレヘムの馬小屋の扉についている。
誰かの人生を明るくし、互いの重荷を負い合い、相手の負担を和らげ、空っぽの心や人生を惜しみない贈り物でいっぱいにすることによって感じる喜びは、私たちにクリスマスの魔法をもたらす。
クリスマスはただのお祭り騒ぎではありません。クリスマスとはそれ以上のものです。それは、永遠のものを深く思う時。クリスマスの精神は、与えることとゆるしの精神なのです。
わが子よ、クリスマスとは行動を伴った愛です。・・誰かを愛する時、あなたは神が私たちに与えてくださるように、彼らに与えます。神が私たちに下さった最大の贈り物とは、御子が人間の形となって私たちの所に送られたことです。それは、父なる神がどのような方であるかを私たちが知るためでした。ですから、愛するたびに、与えるたびに、それがクリスマスなのです。
イエスはこの世への神の贈り物です。ただクリスマスのためばかりではなく、あなたが生きている限り毎日のため、さらには永遠に至るまでのためであり、あなたが抱えうるすべての必要のためでした。
クリスマスはお祝いをしてすぐに忘れてしまうような、ただの日ではありません。それは私たちの人生の至る所に浸透すべき精神なのです。
私は心の中でクリスマスを祝います。そして、一年中それを守ろうとします。
クリスマスは、目の前に迫る新年を勇気を持って見据える時。・・これからの月々という鏡に、今までよりももっと親切で、もっとゆるし、もっと無私無欲な私を映し出すようにと決意する時。
クリスマスはキラキラしたモールやライトや
派手な見せかけではない
その秘密は内なる輝きにある
それは心の中に灯を灯すこと
それには善意と喜びがとても大切
それはより高い思いとより大きな計画
それは人の魂の中にある輝かしい夢
キリストは1世紀に生まれましたが、それでも全世紀のものです。
キリストはユダヤ人として生まれましたが、それでもすべての人種のものです。
彼はベツレヘムで生まれましたが、それでもすべての国のものです。