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本当のクリスマス

クリスマスっていうと、何を連想しますか。たいていの人は、ケーキやプレゼントを思いうかべるのではないでしょうか。デパートやお店はどこも、きれいにクリスマスのかざりつけをし、家族や恋人や友だちにおくるプレゼントを探す人でにぎわっています。夜は、パーティー帰りの人々が、上機嫌でクリスマス・ケーキを片手に家路を急ぎます。また、恋人とすごした前の年のクリスマスを思い出して、少しセンチメンタルになる人もいます。

でも、クリスマスって本当は何のお祝いなのでしょうか。きらきら輝くクリスマスツリーやライト、街に流れるジングルベル…何もかも、とてもはなやかです。

そんな中から、サンタクロースの話まで生まれました。白ひげをはやした陽気なサンタが、プレゼントをたくさん積んで、空飛ぶトナカイに引かれ、ソリに乗ってやって来るというのです。だから、クリスマスというと、サンタがやって来て新しいおもちゃがもらえる日、と考える子供も多いことでしょう。

でも本当は、クリスマスにはもっと深い意味があるのです。そこで、本当のクリスマスについてお話しすることにしましょう。クリスマスのはじまりは、およそ二千年前にさかのぼります。その日、宇宙をつくられた神さまが、この世に最高にすばらしいプレゼントをくださいました。小さな赤ちゃんです。その赤ちゃんは、世界中の人々に愛と希望と救いのメッセージを運んできてくれました。

この聖なる子供をうんだのは、名もない素朴な女の人で、まだ結婚していなかったのに、奇跡によって、神さまから直接、赤ちゃんをさずかりました。この赤ちゃんは、この世で最も偉大な王になる運命にありましたが、宮殿で生まれたわけではありません。そまつな馬小屋で生まれ、ぼろぎれにくるまれて、かいばおけにねかされたのです。

大臣や身分の高い人たちが、盛大な誕生祝いをすることもありませんでした。でもその夜、近くの丘にいた貧しい羊かいたちは、驚くような光景を目にしました。星空いっぱいにまばゆい光が輝き、天使たちの歌声がひびきわたったのです。「いと高きところでは、神に栄光があるように。地の上では、み心にかなう人々に平和があるように! きょうあなたがたのために救い主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである!」(ルカによる福音書2章11-14節)

また遠い東方の国では、もう一つのしるしが天に現れました。三人の王が、ひときわ明るく輝く、ふしぎな星を見つけたのです。王たちはこれには特別な意味があると信じ、星のあとを追って広い砂漠をはるばる旅しました。星は、その赤ちゃんがねむるベツレヘムの町の馬小屋まで、王たちをみちびいたのでした。

その子の地上での父親は大工でした。それで、彼は父親の大工仕事を手伝いながら、ふつうの人間としてくらし、人間の言葉を語りました。それは、人間のことをもっとよく知り、愛するためでした。

大人になって人生の使命をはたす時が来ると、あちこち行きめぐっては良いおこないをしました。説教を説くだけではなく、ふつうの人々の間でくらし、人々の苦労や悩みを深く思いやり、疲れた人に力をあたえ、心の傷をいやし、奇跡によって病人をいやし、飢えた人には食べ物をあげるなどして、日夜、人々に救いの手をさしのべたのです。

その教えはとても単純で、自分の教えを信じるには、おさない子供のようにならなければならないと言われたほどです。教会の礼拝に出なさいとは言われなかったし、むずかしい宗教の規則を守るようにとも言われませんでした。彼はただ、愛を説き、その愛を身をもっておしえて、人々を天の王国に招き入れようとしたのです。そして、最も大切なおきては、心をつくして神を愛することと、自分を愛するように、となり人を愛することであると教えました。(マタイによる福音書22章37-39節)

自分の評判など気にせず、よっぱらいや売春婦、罪びとなど、社会から見捨てられた人たちの友となりました。そのような人たちのほうが、ふつう善人だと考えられている人や、彼をきらう独善的な宗教家たちよりも先に神の国に入るだろうと言ったこともありました。

その愛の教えが広まり、大ぜいの人が信じるようになると、当時の宗教指導者たちはそれをねたみ、この無名の元大工が、自分たちをおびやかす存在になったとさとりました。それで、とうとう彼は、反乱をくわだてたという偽りの容疑で逮捕され、裁判にかけられたのでした。ローマの総督は、彼には何の罪も認められませんでしたが、有力な宗教指導者たちに圧力をかけられ、彼に死刑を宣告してしまいました。しかし、その死んだ体が墓に横たえられて三日たつと、彼はよみがえり、死と地獄を永遠に征服したのです!

彼の名はイエス・キリスト。神さまからあなたへのクリスマスプレゼントです。イエス・キリストは、ただの預言者や哲学者や教師ではなく、神のひとり子です。宇宙の創造主である神さまは、霊であり、全知全能であって、どこにでも存在し、私たちの理解をはるかにこえています。だから神さまは、ご自分がどんな方かをおしえ、私たちをみもとにみちびくために、イエスを人間の姿で地上に送ってくださいました。愛や神について語った偉人は大ぜいいますが、イエスは、彼自身、愛であり、神なのです。この世の罪を負って死に、それからよみがえったのは、イエスだけです。イエスは言いました。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書14章6節)

イエスは現実に存在する方で、あなたを愛しています。だからこそ、あなたがすべての過ちや罪の苦しみから解放されるように、それらをみずから背負って、十字架で死んでくださったのです。聖書にはこう書いてあります。「神はそのひとり子(イエス)をくださったほどに、この世(あなたや私)を愛してくださった。それはみ子(イエス)を信じる者がひとりもほろびないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)

あなたも今、神さまからの贈り物であるイエスを心に受け入れることができます。この短い祈りを祈れば、イエスは必ずあなたの心に入ってくださいます。さあ、祈ってください。

「イエスさま、あなたの愛を感謝します。今までしたすべての悪いことをゆるしてください。イエスさま、今、私の心に入って、あなたからのプレゼントである永遠の命をください。アーメン。」

クリスマスは、英語で「Christmas」とつづり、「Christ」はキリストのことです。でも、宣伝や広告では、それが消されてXにされています。「Xマス・セール!」「Xマス・バーゲン!」というふうに。クリスマスはキリストの誕生を祝う時なのに、「Christ」が取られて、「Xマス」となってしまっているのは、悲しいことですね。

でも、上の祈りを心から祈ったなら、イエスは、あなたのむなしい「Xマス」を、本当の喜びにあふれる「クリスマス」(Christmas)に変えてくださることでしょう。そして、この地上での人生が終わっても、天国で永遠に生きられるようにしてくださるのです。

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