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クリスマス・ストーリー

クリスマスはゆるす時…

作者不詳

 昔、アメリカで「幸せの黄色いリボン」という歌が流行しましたが、実はその前から、その話に似たクリスマスの話がありました。
 ある家出した少年が、ついにクリスマス・イブに家に帰ろうと決めました。家族には手紙で知らせてありましたが、家に入れてもらえれるかどうか不安でした。汽車が少年の家のすぐ横を通るので、戻ってきてもいいなら農場の裏の大きなニレの木に赤い布を結んでほしいと手紙に書きました。
 家まであと数マイルになった時、少年は隣りに座っていた年配の男性に胸の内を打ち明けました。その人は、少年と同じように家を出たけれども、戻ってきた時に大歓迎された別の少年の話をしてくれました。それは、聖書の中でイエスが話された「放蕩(ほうとう)息子」のたとえでした。「だからきっと、君の両親も君の帰りを待ちこがれているよ」と、少年を励ましたのでした。
 汽車が農場に近づきました。ありました! 父親が結んだ赤い布が見えます。それもたった一枚でなく、枝という枝に赤い布がところせましと結んであったのです。風にたなびく無数の赤い布は、クリスマスにすべてがゆるされたことを少年に告げていました。

* * *

「放蕩息子」(ルカによる福音書15章11-32節、新共同訳)
 ある人に息子が二人いた。
 弟の方が父親に、
 『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』
 と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
 そこで、彼は我に返って言った。
 『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
 息子は言った。
 『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
 しかし、父親は僕たちに言った。
 『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
 そして、祝宴を始めた。
 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
 僕は言った。
 『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。
 『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
 すると、父親は言った。
 『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』